2011年12月25日日曜日

12月25日 ハクチョウさんの飛び立ち

今日は、朝7時半から佐潟村がオープンする日でした。
朝、家で甘露煮を詰めてから行きました。
朝8時頃、佐潟にはまだ沢山のハクチョウさんたちがいました。

ハクチョウさんたちは、何やら会議中?
仲間同士で首を上下に動かし、パタパタと水面を駆け、田んぼへと出かけて行きました。

「いってきま~す」という感じでしょうか。ハクチョウ語で話かけながら飛んで行きました。

 朝は元気良く飛び立って行きましたが、夕方から風が強くなりました。ハクチョウさんたちは、お腹いっぱいながらも、何とか佐潟に帰って来れました。

12月25日 佐潟のフナっ子

佐潟に住んでいるフナっ子を、甘露煮にしました。フナに混じって小さなコイもいました。コイは私の水槽に飼っておくことにしました。
とっても元気が良く、大きさも前回よりちょっと大きめ。

でも、甘露煮にできる大きさでした。

 できれば、きれいな水に1、2ヶ月泳がせれば、まるごと甘露煮にできるのでしょうが、私の家には泳がすスペースがありませんので、獲れたてを調理しました。
 鱗を取って、内臓を取ってから焼き、水分を飛ばします。

魚を鍋に投入。煮汁も作ってグツグツと4時間、ゆっくりと煮込みました。

時々、味見をして、軟らかくなったら火を止めます。


 パックに詰めたら完成です。できたての甘露煮は、お世話になっている方々や親戚に、クリスマスプレゼント。これで正月も迎えられそうです。近々、正月前にもう1度、甘露煮を作ります。できた甘露煮は、佐潟村ギャラリーに来られた方々へ、お安く提供しようかと思っています。

2011年12月18日日曜日

12月18日 佐潟の雪景色

雪も積り、角田山全体が雪化粧。佐潟のまわりの風景も、すっかり雪景色になりました。
佐潟村ギャラリー(赤塚商工会館2階)では、佐潟村の看板づくりが行われました。皆が協力し合い、手作りの看板が完成しました。

私は暇なときに新聞紙を使って、紙袋を作っています。大きな絵柄がある面を表面になるよう、折り目の位置を考えながら作ります。英字新聞があると、とっても良いのですが・・・。

佐潟村ギャラリーでは、佐潟に飛んでいる鳥も見ることができます。上の写真は、チュウヒちゃんです。私は、普通のチュウヒを”ただチュウ”(ただのチュウヒ)と呼んで、”ハイチュウ”はハイイロチュウヒの略で呼んでいます。今日は、”ハイチュウ”も飛んでいました。

佐潟湖面に、真っ白な、パンだのような模様のミコアイサちゃんもいます。正面を向いた顔は、まさにパンダですね。

雪の上では、スズメちゃんの群れが、チュンチュンと鳴いていました。とっても、可愛かったです。

佐潟村ギャラリーから、佐潟の奥にいるヒシクイちゃんを撮ってみました。かなり、ズームしています。
佐潟村のギャラリーに、ぜひ、遊びに来てくださいね =三Σ(((つ°ω°)っ GO!

2011年12月15日木曜日

12月15日 赤塚・大慈寺の鐘

赤塚の本村部分にある、大慈寺(だいじじ)。その目の前には旧北陸道(通称「北国街道」)が通っています。
 大慈寺の山門2階にある梵鐘(ぼんしょう)は、戦時中、大日本帝国海軍の艦艇の1つ、戦艦「陸奥(むつ)」という船の鉄で造られています。
  戦艦「陸奥」は、長門型戦艦の2号艦で、戦艦「長門(ながと)」とともに、当時、国民に長く愛されていました。当時の子どもたちが、図画の授業で書いた絵で最も人気があったのが、この2艦です。

 戦艦「陸奥」については、私のもう1つのブログ、『利兵衛(SR始皇帝第2弾)』に掲載しておりますので、そちらを参考にしていただければと思います。

 陸奥は、昭和18年(1943年)6月8日、広島湾の柱島に停泊中、謎の大爆発を起こし、沈没しました。その後、昭和23年、昭和45年(1970年)の2度に渡って、引き揚げ作業が行われました。その引き揚げられた陸奥の鉄を溶かして、大慈寺の鐘が造られました。
 引き揚げられた陸奥の鉄は、「陸奥鉄」とも呼ばれています。戦前の製造された鉄は、放射性物質が含まれていません。そのため、人の体からごくわずかに発せられる放射線を計測するための放射線測定機に利用されたそうです。

 現在、国内にある「陸奥鉄」で造られた鐘は、大小さまざまありますが、数箇所あります。大慈寺のような大きさの鐘は、群馬県渋川市の福増寺、黒瀧山不動寺。周南市の回天記念館があります。

 大慈寺では、この鐘をついて、戦没者の供養も行っています。毎年行われる除夜の鐘でも、この鐘をついています。

 国内に残る「陸奥鉄」の中でも、これだけの大きさの鐘は、大慈寺を含めて4箇所しかありません。とても貴重な鐘ですね。

2011年12月14日水曜日

12月14日 冬の鳥さん

今日は、とっても良い天気でした。
気温もちょっとあり、日差しは気持ち良かったです。
外の鳥さんも、気持ちよさそうに過ごしていました。
棒に、スズメちゃんが隙間なくギッシリと止まっていたので、写真を撮ろうとしたら、次々と地面に降りていってしまいました。おしかったです(涙)。

キンクロちゃんを見ると、あれ?髪型が・・・。
寝起きだったのでしょうか。寝癖のように頭の羽が跳ね上がってしました。

外からは、何やらコツコツと音がしました。
良く見てみると、コゲラちゃんが2羽、同じ木でコツコツとしていました。

湖面では、ミコアイサが気持ちよさそうに、背伸びをしていました。

2011年12月11日日曜日

12月10,11日 ハクチョウと鯛?

角田山にも雪が積もりました。でも、まだ麓の方は紅葉中です。
とっても気温が低く、凍えそうです。こんな時は温泉にでも温まりたいですね。
西蒲区の一部地域では、田んぼに少し雪の姿が残っていました。
赤塚地域は、県内でも積雪が少ない所です。

巻地区では、「鯛車焼き」という、鯛焼きみたいなオヤツがあります。
巻の方から、「鯛車焼き」をご馳走になりました。私は、中身がクリーム(カスタード)の方が好きなので、クリームの方をいただきました。
出来立てホヤホヤでもあったので、生地の表面はカリッと、中はホンワリとして美味しかったです。
ごちそうさまでした。

枝には、モズちゃんが休憩中でした。
スズメちゃんも、たくさんの群れとなって、ヨシや地面を突っついて、お食事中でした。モズちゃんも、スズメちゃんも、丸々とした体で暖かそうでした。

朝、ハクチョウさんたちは、佐潟を飛び立ちます。どこへ行くかと言うと、周辺の田んぼに、お食事に出かけます。お帰りの時間は、ハクチョウさんたちの気分次第。

一生懸命、ムシャムシャと、田んぼに落ちた落穂や米を食べています。仲間がお食事をしていると、必ず見張り番のハクチョウさんもいます。

田んぼでお食事中のハクチョウさんたちを眺めるときは、むやみに近づかず、ハクチョウさんたちと一定の距離を保って、優~しく見守ることが大切です。

2011年12月7日水曜日

過去の写真から その3

私のパソコンに入っている、過去の写真をアップします。
学生のころ、柏崎市内に住んでいたので、その周辺の地域にも良く出かけていました。
松之山温泉や上越、長野市、高柳町(現在、柏崎市)、長岡市など。
特に、松之山温泉には、ちょくちょく行っていました。
現在は柏崎市に入っています、旧高柳町の荻ノ島集落。
ここは、全国的にも有名な集落です。
貸切の民宿が2軒あります。

このとき、友人と二人で行きましたが、この民宿をお世話している、おばちゃんが快く中に入れさせてくださいました。
中では、戸の修理中でしたが、私たちに、おばちゃんお手製の漬物をたくさん、何種類も出してくださいました。 お茶を飲みながら、色々とお話をさせていただき、楽しかったです。

環状集落と呼ばれるように、この集落は田んぼを囲んだまわりに民家があります。

民宿のすぐ隣には、有名建築家の隈研吾さんの作品が建っています。
有名建築家の作品でも、中は、雪国仕様ではありませんでした。デザイン重視のようです。

高柳地区は、あちこち見学できる観光ポイントがあります。
温泉に入って土産物を買える施設や、門出(かどいで)集落の和紙職人、立派なお庭を公開しているお屋敷、瓶(かめ)に入ったお酒、自家製で自家使用のお酒など。
柏崎市内でも、女谷や折居といった山間部の集落の方々も、自家製のどぶろくを作って、自家消費している所もあります。
私も、以前、泊りがけで遊びに女谷に行ったとき、どぶろくを飲ませていただきました。雪が積っていた季節だったので、玄関の前に積っている雪に、ビール瓶を刺して冷やしていました。
天然の冷蔵庫ですね。

今度、赤塚のお仲間さんと一緒に、高柳地区へ楽しみに行ければ良いな~と思っています。

過去の写真より その2

以前、名前の知らない魚を釣りました。
おたまじゃくしのような、可愛らしい魚。
県の海洋研究所に、名前をお聞きしたところ、「トビハゼ」という名前と分かりました。県内には、あまりいないそうです。
汽水を好むそうです。

ペットとして飼われているのが多いらしいです。

誰かが逃がしたのでしょうか。

釣った時に、可愛かったので、家で飼おうか迷いましたが、かわいそうだったので逃がしたら元気良く泳いで行きました。

過去の写真より その1

学生の頃、柏崎市内に住んでいたので、その時の写真をアップします。
住んでいたアパートは、里山に囲まれた田舎で、夜にはフクロウが鳴いていました。

私のパソコンの中に閉まっておくのも、もったいないと思い、過去の画像ですが掲載します。
2006年の柏崎の花火大会のようすです。

新潟県内の3大花火大会の1つで、「山の片貝」、「川の長岡」、「海の柏崎」とも呼ばれています。
毎年、大勢の観客で賑わうので、場所の確保は早めに行きました。

場所取りの甲斐もあって、花火の眺めは抜群でした。

水面と空中の花火は、圧巻です。

花火を写真撮るのは、難しいですね。

100枚くらい撮りましたが、まともに写っていたのは、ほんの20枚くらいです。

来年(2012年)の花火大会は見に行きたいと思っています。

2011年12月4日日曜日

赤塚城の空堀

天気の良い日に、赤塚城の空堀の状況を見に行きました。
昨年見に行ったときよりも、なんだか木が茂っていたようにも思いました。
赤塚城の空堀跡は、佐潟の脇にある斜面に、わずかに残されています。


堀の斜面には、ビニールやプラスチックといったゴミが捨てられ、ツルや木が茂っていました。

この写真の奥が、城跡があったところの南側に位置します。

おそらく、外堀だったと思われます。

手前から、奥の斜面の頂上までの高低差は、8mくらいあると思います。

斜面も急で、くぼみが空堀です。

佐潟は、赤塚城の北側を守る、天然の水堀でした。

現在は、城跡はなく、地名として「城山」としか残されていません。

2011年11月23日水曜日

11月22日 佐潟村たくあん作り講習会

佐潟村主催のたくあん作り講習会が行われました。
あらかじめ、大根を干して、しなしなさせています。
コウジ、砂糖、塩、ヌカを混ぜあわせ、大根を入れます。

交互に敷きつめていくと、良いそうです。

最後に、大根の葉を敷いて、その上に押し蓋を乗っけて完成です。

 作業終了後は、参加者の皆さんと、赤塚商工会館2階にある佐潟村の工房・ギャラリーで、佐潟を眺めながら、コーヒーを一杯。



 佐潟村の工房・ギャラリーから見た佐潟と角田山。ハクチョウが飛んでいく様子も良く見えます。

11月21日 炭焼き作業

この日は、久しぶりの炭焼き作業をしました。
割った竹を束にして、窯に隙間無く詰めました。
この日は風が強く、とっても寒い日で、私は鼻水を垂らしながら作業しました。
煙突からは、モクモクと煙がでました。

しばらくすると、煙突の下からポタリポタリと竹酢液が垂れてきます。それを容器に集め、ペットボトルに入れて保管します。

同時に、ドラム缶にも竹を入れてみました。
今までは、このドラム缶には、シノダケを入れて、そこに飾り炭を作るための一斗缶を入れてました。

ドラム缶での竹炭作りは今回が初めてです。

うまく焼けることを楽しみにしています。

甘露煮作りにハマリ中

最近は、コブナを甘露煮にするのにハマリ中です。
この前は、さすがに大量すぎて、ウロコ・内臓を取って、焼き目を入れる工程で、夜中までかかってしまいました。
でも、完成した甘露煮を、あちこちにお裾分けして、喜ばれるだけでも嬉しいです。
小さいお子さんから、大人のお酒のおつまみと、ちょうど良い味に仕上がったと思います。

2011年11月12日土曜日

11月12日 赤塚の野菜たち

赤塚の野菜も豊富な季節となりました。
冬支度に、ダイコン干して、たくわん作りの下準備も始まりました。
ダイコンを干すために棚を作り、そこに束ねたダイコンを掛けていきます。

昔は、赤塚の稲葉という場所に、ハザがあり、下が丸っこい「赤塚大根」が干されていました。
その時の姿を見た方は、葉っぱの緑と大根の白が縞模様となって見ごたえがあったそうです。

漬物にするため、大根を干します。
地域外の方からは、よく、「干し大根はありませんか?」と聞かれる方もいるそうです。
私も、大根の漬物、特にコウコウ(たくあん)と、ハリハリ漬けは大好きです。


棚に掛けられた大根さん。たくさん太陽を浴びて、冷たい風を受けて、おいしい大根になってくださいね。

毎週土日に野菜販売をされている「佐潟村」さん。
たくさんの赤塚の野菜が並んでいます。

鍋も恋しい季節。白菜といった鍋の定番野菜もたくさんあります。