2015年10月15日木曜日

9月26日(土)・30日(水)、内野周辺まちあるきを実施

 9月26日(土)・30日(水)、新潟市西区役所の主催による「内野周辺まちあるき」を実施し、ガイド役として案内しました。
 JR内野駅前に集合、定員15名(両日、区報で募集)、2時間コース。
ルートは、内野駅前→義勇碑→清徳寺→いちょう公園→西川→中野邸→宝光院(休憩)→新川西川立体交差→吉田稲荷→白蓮の書→うちのでアートカフェ。
 
(写真は、西区役所HP「おいしく西区」に掲載、参考にご覧ください)
 
普段、一般公開されていない柳原白蓮の書も、今回のまちあるきで見学コースに。内野大火で焼け野原になった内野の復興を願って当時の町長が白蓮に揮毫を依頼。「ほろびても 消えてもやがて 復興の 恵みにぞたつ 南無観世音 白蓮」とあります。 来年度、西区役所主催によるまちあるきを実施するとともに、内野周辺まちあるきガイドの養成講座を計画中。
 このまちあるきでは、「内野」というエリアの概念を、狭い範囲の内野地区ではなく、新川の開削によって誕生した内野の町を語る上でも、槇尾地区・高山地区(昭和36年に新潟市に合併する前は中野小屋村)、五十嵐地区を含めた範囲の「内野周辺」という概念でのガイドを実施しております。

10月10日(土)・11日(日)、中原邸秋の一般公開

10月10日(土)・11日(日)、9:30~16:00、中原邸秋の一般公開が行われました。
10日は、赤塚中学校音楽部の合唱披露(写真参照)、新潟国際情報大学吹奏楽部の演奏、保存会会員によるリコーダー演奏が行われ、大勢の方々が訪れました。
11日は雨が降り、気温もぐんと下がったのもあり、来場者数は少なかったです。
 

邸内では、邸内ガイドによる中原家や建物の概要、明治天皇北陸巡幸、賀陽宮関係の説明を行ったほか、今回より北国街道・佐潟のパネル案内を行いました。
また、毎回ご好評いただいております、北国街道パネルのマップを含めた北国街道関連資料の販売を再開(残り30部弱、それがなくなり次第絶版、販売終了)。
『赤塚郷ゆかりの文人集Ⅱ』も販売しました。

上)『赤塚郷ゆかりの文人集Ⅱ』の内容の一部
※第1巻は絶版しております。

8月29日(土) 佐潟まつり

8月29日(土)、佐潟まつりが行われました。
午前中は、どしゃぶりの雨で、準備作業ストップ。開催が危ぶまれましたが、11時頃に晴れ、灯篭の設置作業を開始しました。


テレビCMに、佐潟万燈籠の写真が使用されたこともあり、カメラマンが多く訪れました。
当日は、潟船体験やステージショー、屋台村、花火打ち上げなどが行われました。
花火は、地元に花火師がおり、その方のご厚意で話題の「白菊」を3発挙げていただけました。

2015年7月4日土曜日

トビさん巣立ちとスイカまつり

昨日アップしましたトビさんが巣立ちました\(^o^)/
しかも、2mくらいの梯子の上に止まっていて、間近で写真をパシャパシャしても、モデルさんになってくれました。
立派な爪とくちばしが、すっかり猛禽気になりました。
今日は、メイワサンピアでスイカまつりが行われました。
赤塚は、スイカの産地でも有名で、今は大玉スイカの盛りです。
会場内には試食コーナーもあり、食べ終わってしばらくして何回も食べました。
会場内には、赤塚・佐潟を紹介するブースが設けられました。
赤塚と佐潟の歴史的な関わりについてのボードや、郷土誌・赤塚郷ゆかりの文人集の販売も行いました。
赤塚産のカブトムシも販売し、こどもたちの大人気コーナーに。
あっという間に完売。
曇り空の中、比較的過ごしやすい日でしたので、良かったです。
この日は6000人を超える人が会場に訪れました。

2015年7月3日金曜日

赤塚の某所、トビさんの巣発見

赤塚の某所、大きな木の上に巨大な巣を発見。
しばらく見つめていると「ピ~ヒョロロ」と鳴き声が・・・。
「この声は、もしや!」と見ると、トビさんの親が。
カメラで撮ってみると、おおっヒナ(幼鳥)が・・・。写真を撮ったのは、トビさんの巣と気付くずっと後の、今日撮影しました。
もっと前は、ヒナが白い毛で覆われていましたが・・・成長しました。
時々、下にいる私の様子を眺めています。
親がいなくなると、寂しそうな声で鳴いています。
かわいい~。
この時期、あちこちで鳥さんの巣作り・子育て奮闘の様子を見受けられます。
職場の窓辺にある木には、ヒヨドリさんの巣作りの様子が見れました。

水辺

上の写真は、十二潟の写真です。十二潟は、阿賀野川が河川改修によって流路が現在の形となって、旧態の河面が残った「三日月湖」です。この辺りの集落は、自然堤防の上に形成されています。

近くの集落には、虫送り(ツツガムシ除け)の風習があり、その祠があります。

明治天皇史跡

休日を利用して、明治天皇史跡を巡っています。
県内の全史跡の状況を把握しておりますが、その中でも石碑があるところを巡っています。
上の写真は、新崎にある「明治天皇新崎御小休所」の石碑です。
上の写真は、内島見にある明治天皇の史跡で、三条実美の揮毫によるものです。

関川村 散策

平成の大改修を終えた国重文の渡邉邸。
そのリニューアルした様子を見ようと、行ってきました。
耐震補強工事も完了し、黒塀もピカピカに。
渡邉邸の前には、旧米沢街道があります。米沢街道は、山形県側からは「越後街道」と呼ばれています。
渡邉邸の並びには、津野家・佐藤家があります(両宅とも非公開)。
佐藤家は、渡邉家より土着が古く、代々庄屋を務めました。


2015年5月25日月曜日

お知らせ

◆「北国街道関連資料」販売終了のお知らせ
 
 
 西区~西蒲区の北国街道についてまとめた資料と、史跡イラストマップは、大変多くの方々から好評いただいている資料です。
 その資料販売を今年10月11日をもって販売終了となります。製作はすべて手作業で行われ、個人印刷による物のため、用意できる部数に限界があります。
 多くの方から「欲しい」というご要望を頂き、大変嬉しい限りではございますが、製作者の意向により、終了となりますのでお知らせ致します。
 10月10日、11日に行われます「中原邸秋の一般公開」で、限定50部が用意され、最後の販売となります。よって50部が無くなり次第終了となります。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
現在、個人的に明治天皇北陸巡幸の史跡について調べ、着々と調査内容も把握しつつあります。今年1年がかりで場所の特定や資料収集を行い、実際に現地を巡ってみようと考えています。
なお、現時点では県内の9割の場所を確認済みです。
本ブログでもアップできればと思っています。

2015年4月27日月曜日

佐潟と歩む赤塚の会 ブログ

佐潟をフィールドとした「佐潟と歩む赤塚の会」のブログを試験的にアップしてみました。
本ブログのリンクしております。
http://sakata10ayumu.blogspot.jp/
(佐潟と歩む赤塚の会)

今日、中原邸に生えている孟宗竹ジュニア・タケノコさんをGETしました。
今年初物です。
何して食べようか、考え中です。
 

タケノコは、毎日朝収穫されたものを、赤塚の「ファミリーパーク カワチヤ」で販売されています。地元産の、掘りたてホヤホヤのタケノコたちです。

2015年4月10日金曜日

菜の花と桜

上堰潟公園にちょっとだけお散歩に行ってきました。
昨年と同じくらい、菜の花が満開。
小鳥のさえずりを聞きながら、穏やかな天気の中、てくてくと歩きました。
菜の花の黄色が、見栄えします。
なんか、ミツバチになりたい気分。
もう少し暖かかったら、ござを敷いてお花見したかったのですが。
佐潟の桜も満開。19日には散り始めているかも。

2015年4月4日土曜日

4月18日(土)・19日(日) 中原邸公開と潟舟運行

4月18日(土)・19日(日)、「中原邸」春の一般公開が行われます。公開時間は、例年同様に9時30分~16時。
「中原邸」は、普段は非公開です。毎年、春秋に「赤塚・中原邸保存会」主催で一般公開が実施されています。中原邸主屋は、嘉永5(1852)年の大火で焼失した後に再建したものです。赤塚は、幾度となく大火にあっており、安政4(1857)年夏の大火では村の大半を焼失し、元治元年に修復費380両を菜種代金で返済する条件で借り受けたという文献もあります。
『鳥役定之事』(太田氏所蔵)という史料には、嘉永度の火災により赤塚の割元石黒家も類焼し、そこから慌てて取り出されたと、ふせんに説明書きがあります。
 

慶応元(1865)年閏5月6日の史料には、出雲崎代官の大竹左馬太郎が、管轄下の山口三郎・中原藤蔵・玉木金十郎に献金を命じています。これは、幕末の長州討伐のためのものです。
中原家(代々「藤蔵」を名乗る)は、この他にも江戸城本丸普請や海上防備など幕府への献金も行い、近くにあった乳の潟の新田開発に従事(現・藤蔵新田)したことなど、さまざまな功績を認められ、名字帯刀を3代免除されています。
中原久成・龍三郎は、赤塚村の村長を務めました。
 

中原邸の価値は、明治天皇が北陸巡幸で明治11年9月16日に昼食を取られた部屋「上段の間」が現存していることと、江戸後期の新潟の画家・行田魁庵の作である襖絵や欄間などがある、江戸後期から明治期にかけての建物の状態がそのままであるということです。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
19日(日)、佐潟では潟舟乗船体験が行われます(大人500円、こども300円)。
佐潟を潟の中から周りを見渡すのも、普段では体験できません。
鳥のさえずりや春風を感じながら、春の佐潟を体験してみてはいかがでしょうか。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※中原邸には専用駐車場がございません。佐潟公園またはメイワサンピアの駐車場をご利用ください。
※佐潟公園-中原邸区間は、「赤塚・佐潟歴史ガイド」の方々が無料で赤塚の史跡のご案内が行われています。そちらもぜひ。

最近ちょっと作品を作りました

何の作品かというと、掛軸。
だいぶ、年寄り臭い趣味ですが、文人画収集も趣味の一環ですが、イラストを描くのが得意ですので掛軸にしてみました。
まずは、昔潟が沢山あった1820年以前の赤塚周辺の様子を描きました。潟の位置や規模は、さまざまな文献を調べ、比較を行って参考にし、角度を変えて描きました。
1820年に新川堀が完成し、六字潟・早潟・乳の潟などの潟が、減水によって新田開発が進み、消滅しました。なかなか、絵図を見る機会が少ないですが、この絵なら集落との位置関係も分かるかなあと思います。
次に、水墨風に佐潟を描いてみました。佐潟の水墨画は、これで2点目です。春の佐潟には水面に何も植物がないので、風が穏やかな晴天の日には水面に角田山が映る「逆さ角田」が見ることができます。佐潟のほとりに建つ赤塚中学校からは、この風景が見られます。
こんな良い眺めを教室から見れる、なんとも贅沢な気分です(私もOBです)。
 

あと、作品というものではありませんが、人生発の作品が完成。
それは、網戸。わが家の網戸が劣化し、脇に隙間ができてしまっていました。なので、温かい季節は、虫さんがわが家にコンニチワしてきます。
網戸の網を入れ替えてみようと思い、ユーチューブで替え方を見て、チャレンジ。ちょっと垂みもありますが、人生発の網戸作品がこれ。
今では、垂みもなく仕上げることができました。(すでに4枚交換しました)
これで、夏は心地よく過ごせそうです。

佐潟鯉まつり、潟船道場

だいぶ、更新が遅くなり、申し訳ございませんでした。
 
佐潟のハクチョウもすっかりいなくなり、潟の周りの桜の蕾も膨らんできました。早くも、風が当たらない建物の影のソメイヨシノは満開になっています。
 

 
 
3月8日に行われた「佐潟鯉まつり」では、魚の販売やコイ汁の販売などが行われました。
前日に、コイ汁やこんにゃくの仕込みを行いました。
大きなコイちゃんたちを使って、150食分を用意しました。
作業中、お水がないのでバタバタと大暴れ。かわいそうですが、頭をゴンゴン、ピヨピヨしている時にさばきました。
君たちの命は、決して無駄にはなりませんでした(。-人-。)合唱

潟船道場は、3月14日と21日にやりました。
船頭の若手が少なく、最年少は私くらい(今年31)。若手の船頭育成も、今後重要かと。
講習会終了後、ちょっと潟舟を出して遊覧しました。
春先、佐潟は満水になります。
水を溜めるのは、下流域の水田の補水用としてと、魚の産卵を促すためでもあります。春は、コイやフナが散乱する季節。もう、今現在(4月4日)も、産卵のため、岸部やヨシの縁に寄ってきている様子を見受けられました。産卵を、方言で「のっこみ」と呼んでいます。
 

また、今日久しぶりに潟の周りを散策しました。ただ単に散策するのではなく、おいしい食材を確保するのが目的。佐潟にはおいしい草が沢山あります。クレソンやセリ、ヨモギとか・・・。
 

そんな中、湧水が染み出る、透明度の高い水たまりに、カエルちゃんの卵を発見。
ヒキガエルの仲間でしょうか。ちょっとグロイですが、沢山巻かれていました。
佐潟の「自然生態園」には、毎年沢山のオタマちゃんが。それも、ウシガエルのオタマ。大きくな体で、触るとお腹がプニプニしてて、ちょっと気持ちいい。お顔もかわいい。
でも、インターネットの画像サイトで、そんなかわいいオタマの電子顕微鏡画像を見た瞬間、ちょっとグロっと思いました。