2014年9月30日火曜日

10月27日・28日 ミニ展示会③ 開催

■ミニ展示会③
実施日 :平成26年10月27日(月)、28日(火)
時 間 : 9:00~14:00
会 場 :赤塚中学校 ボランティア室(体育館内)
内 容 :地域の旧家に残る江戸・明治期の文人作品 5~6点展示
上)前回の様子

この展示会は、今回で3回目となります。

展示内容(予定)
・川村修就 書
・頼山陽      ほか3~4点
・北陸道(北国街道)歴史マップ
・「第2回赤塚郷ゆかりの文人展」関連案内

※会場へは、赤塚中学校体育館玄関よりお入り下さい

駐車場は佐潟公園駐車場をご利用ください。
 
問い合わせ先 メール:niigata_akatsuka@yahoo.co.jp
(学校へ電話でのお問い合わせはご遠慮ください)

10月11日・12日 中原邸秋の一般公開

■赤塚・中原邸 秋の一般公開
公開日: 平成26年10月11日(土)・12日(日)
公開時間: 9:30~16:00
 
公開日の催し
・明治天皇北陸御巡幸関連資料の展示
・富嶽三十六景(北斎)切り絵展示
・北陸道(北国街道)歴史マップの展示
・赤塚中学校音楽部の合唱(12日 11:30~12:00)
・竹細工、竹炭、その他グッズ販売
・抹茶、コーヒーの提供(有料):抹茶300円、コーヒー200円
・中原邸案内資料・赤塚の歴史資料(1部100円)
・北陸道関連資料の販売(1部1,000円、マップ付き)※部数に限りがございます。無くなり次第終了。
駐車場
 中原邸には、専用の駐車場がございません。佐潟公園駐車場またはメイワサンピア駐車場をご利用ください。 (いずれも徒歩約10分)

※佐潟公園駐車場より、中原邸までの区間、無料で史跡ガイドがご案内します。興味をお持ちの方は是非、そちらもどうぞ。(所要時間約40分)
 
※JR越後赤塚駅からは、コミュニティバスが運行しております。ただし、休日ダイヤの運行ですので、本数に限りがございますので、ご注意ください。
 
公開方法
 建物内の見学は土間までです。座敷内への入室はご遠慮ください(庭から建物内をご覧ください)。
 
中原邸の見所
・明治11年9月16日、明治天皇が北陸東海御巡幸の際、ご昼食をとられた「上段の間」が現存。主屋はその当時の状態でそのまま現存。
・新潟市の画家:行田魁庵の襖・欄間の作品
・江戸後期に建てられた主屋
・明治時代に建てられたレンガ塀
・新潟市指定保存樹などの巨木たち(特に表門脇のタブの木が立派)


なお、上記の内容でご不明な点がございましたら、下記へ問い合わせください

問い合わせ先:赤塚中原邸保存会(会長) 斎藤TEL:080-5386-2606


2014年9月21日日曜日

11月8日・9日 第2回赤塚郷ゆかりの文人展

11月8日(土)・9日(日)
第2回 赤塚郷ゆかりの文人展
 
 新潟国際情報大学2階国際交流フロア内(図書館の真上)を会場に、9:00~16:00、赤塚地域の旧家所蔵・収集家所蔵の文人作品を一般展示公開が行われます。
 
会場までは、JR越後線、越後赤塚駅から徒歩約10分です。
大きな駐車場もあります。
 会場内では、作品の撮影はご遠慮ください。そのかわりに、記念出版として図録『赤塚郷ゆかりの文人集(二)』が一冊2,500円(限定300冊)で販売され、当日展示している作品のほか、展示できなかった作品など多数の文人作品(書画)を収録されています。
 2日目の9日(日)13:00~15:00には、同会場にて新潟大学教授の岡村浩(鉄琴)先生より、赤塚の文人作品について講演会が行われます。
 作品一般展示公開は、この2日間のみとなりますので、お見逃しなく!図録も購入のチャンスです。

2014年9月15日月曜日

赤塚で軍事演習が行われていました!

軍事演習・・・、それは自衛隊のではありません。
昭和4年11月3日の新聞記事には、こんな見出しが。
 
秋晴れの西蒲の野に 
 猛烈悲壮の攻防戦
  鉄砲火林間に木だまし
   最後の突撃の刹那休戦命令
    師団仮設的大演習
 
 とあります。新聞記事冒頭からは、「第二師団秋季演習の最後を飾る師団仮設的演習は二日払暁より赤塚を中心に東西一里餘の戦線に及んで壮烈に演ぜられたが賀陽宮殿下が親しく御観戦遊ばされた事とて将卒の意気は一段と上つた此日南軍両軍は午前四時より行動を開始し午前八時近く南軍先づ砲火を開いて攻撃を開始するや北軍も是に応戦しつつ戦ひは刻々に猛烈となり赤塚部落を中心に付近の山里は悉く凄壮の修羅場と化した」とあります。
 
 南軍は、高崎方面より、長岡から赤塚以南のところに移動。主力は赤井師団長。井上少将が指揮する聯隊は、曽根・内野線から敵(北軍)の左翼を攻撃しようと行進しました。
 一方、北軍は、土肥大佐を中心に、中権寺を中心に東西に陣地を敷いて、南軍の攻撃に備えました。
 
以下は、その当時の写真です。















上)『昭和四年 秋季演習写真帖 歩兵第三十聯隊』より
 
上)秋季演習御観戦ノ賀陽宮殿下
 
上)演習御視察ノ鈴木参謀総長閣下
(鈴木荘六)

上)観兵式予行
 
上)仮設歩兵小隊ノ防御

上)曲射歩兵砲ノ射撃
 おそらく、「十一年式曲射歩兵砲」と思われます。
迫撃砲の一種です。
 
上)軽機関銃ノ活動
 おそらく、この銃は、「十一式軽機関銃」と思われます。この銃は、ホッパー(弾倉)に30発(三八式実包)を装填でき、日本軍が初めて制式採用した軽機関銃です。命中精度の高い銃と言われています。
 
上)三八式重機関銃
6.5mm、30発。弾丸が30発繋がった状態のものを銃の左側から差込み、発泡すると空薬莢が右側から出てきます。

上)重機関銃ノ活動
銃自体は、上のものと同じです。川があり、その向こうに鉄道(今のJR越後線)が見えますので、この川は、おそらく中権寺付近の広通川と思われます。
 
上)戦ヘ正ニ起ラントス
 この銃は、おそらく有坂三八式(通称・三八式歩兵銃)と思われます。
銃刀を付けると、当時の兵士の平均身長より長くなり、扱いにくい銃でした。
 
上)北軍ノ苦戦
向こうに見えるこんもりとした森が、現在のどこになるのか、ちょっと不明です。 
(赤塚の諏訪神社の可能性があります)
 
上)講評
小学校でしょうか。
 










上)新潟関屋競馬場ニ於ケル観兵式
 















上)万代橋
萬代橋。現在の物です。
 
















上)長生橋
長岡の長生橋を行進している様子です。