2009年6月30日火曜日

豪農の館「伊藤文吉邸」

伊藤文吉邸は、旧横越町で現在は新潟市江南区の沢海(そうみ)というところにあります。
明治時代に大きく成長し、沢海から弥彦まで自分の土地だけで歩いて行けるほどでした。驚きです。

江戸時代は、陣屋として使われ、「沢海藩」、「沢海城」として機能していました。
まわりの集落は沢海藩の城下町だったそうです。

伊藤文吉邸は、庭園に力を入れていたようです。
平安時代の貴族庭園であった「寝殿造り庭園」と呼ばれる様式を明治になって職人を呼び、造らせたそうです。

この庭園を望む大広間は、日常的に使用されるものではなく、おめでたい時に使用されていました。

何年か前にも行った時、何やら映画の撮影がされていました。
立て看板には「蝉時雨スタッフ控え」なんて書かれていました。その時は、「蝉時雨」ってどんな映画なのか、さっぱりわかりませんでした。
何やら若い男の人(武士の姿)と、ちょっと歳をとった男の人が2人。その歳をとった2人を見て、「どっかで見たことある人だな~」と思っていました。
池の鯉と一緒に遊んでいたら、目の前で2人の俳優さんが「そんなことしたら、コイに指を食いちぎられるぞ」なんてジョークを言いました。

後で、調べてみたら緒形拳、石田卓也、その2人の対面を打ち切った・・・名前が分からないけど・・・良く刑事ドラマや悪役とかで出てくる俳優さんの3人でした。
あの時、池で私と話していたのが緒形拳ともう一人の俳優さんだったとは・・・。サイン貰っておけば良かった(。・ε・。)

三角形の茶室は、一見、変わったユニークなものですが、なぜ三角なのでしょうか。三角は、災いを防ぐ、おさめるためのもので、沢海藩の近くは度々、阿賀野川や信濃川の洪水に悩まされた地域で、それを鎮めたいという思いでこの茶室を造ったのかもしれません。

2009年6月23日火曜日

蚊との格闘(涙)

赤塚の旦那様(非公開)にある竹林で、竹炭を作る窯の準備をしました~。
材料の竹をちょうど良いサイズに切るのですが、蚊がたくさんいるのなんの(。´д⊂)
 
ものの数分でチクチクっと刺され、ふっくらカユカユ(涙)
 
何だかんだで、竹を窯に詰めるだけの作業をしました~。

2009年6月21日日曜日

豪農の館「笹川邸」

 笹川邸は、新潟市南区味方(旧味方村)に、中之口川沿いにあります。笹川家は、甲斐国の武田家の末裔で、家紋は武田菱です。

 屋敷は、堀に囲まれていますが、見たところ甲斐国の武田家の屋敷である躑躅ケ崎館に似た造りだと感じました。
 いきなりここに屋敷を構えたのではなく、近くに吉江城(吉江氏の居城)があることから、その家臣か城主の屋敷跡に移り住んだのではないかと思われます。


↑)笹川邸の案内板

↑)表門。かなり古いものだそうです。

↑)鬼門という縁起の悪い方角から邪気が入り込むと言われていたことから、それを避ける工夫がされています。


↑)笹川邸の主屋(しゅおく)の様子。左側の入口が公的な玄関で、主人以上の身分の人が出入りします。それ以下の人は右側の入口から入ります。輿入れの際、縁側から降りて籠に乗ったと言われてますが、縁側はあくまで庭へ出入りするための簡易的な入口で、玄関としての出入りをするためのものではありません。
 おそらく、その隣に踏み石がある所があるので、そこから籠へ乗ったと思われます。


↑)土間の天井を見上げたら、立派な梁が見えます。



↑)笹川邸独特の「米」のくずし文字の欄間です。床の間や襖にもありますが、これは版画の原理を利用したものと見ることが出来ます。



↑)笹川邸の庭のようすです。なかなか良く撮れたと思います。

2009年6月20日土曜日

子持ちエビ

佐潟のスジエビが、卵を抱いてました。抱き始めでしょうか。


新鮮な水と酸素を卵に供給するために一生懸命、お腹の足をユラユラさせていました。


たくさんジュニアが生まれるといいですね~(≧ω≦)


video

2009年6月17日水曜日

マンガ風 続編

マンガ風の続編です。
色々適当に写真をペタペタしました。


上は、佐潟水鳥・湿地センターに展示されている鳥凧の白鳥です。
これをマンガ風にアレンジしてみました。


上は、昨年佐潟で大繁殖したミズアオイの写真です。クマンバチがブンブンしていました。

 

上は、春に佐潟で取れたコイとフナです。




上は、先回同様、カエルです。


航空写真から見た北陸道・北国街道

私は、新潟の歴史について日々、勉強しています。
特に、弥彦~新潟間の北陸道・北国街道を中心としたものについて、我流で勉強しています。
 いままで、北陸道・北国街道に関して、そのルートについてきちんとした形でまとめられたものが、このエリアにおいては作られていませんでした。

 そこで、「誰もやらないのなら、自分がやる」という発想で、色々な史料や独自の調査方法で、まとめてみました。
 上の地図は、赤塚の歴史を中心に勉強している太田氏によるものです。この地図には、時代ごとの街道のルートが描かれており、これを持ち歩いて散歩すると楽しいかと思います。


 赤塚地域より新潟側の街道については、海岸線を通っていました。


 しかし、江戸中期になると、農機具に鉄器が使用され、それが普及したので、比較的開発が容易になりました。
 そのため、徐々に内陸部の潟が新田開発され、内陸部に集落が形成されました。内野地域も、文政3年に新川が造られる前後に、発展し、交通量も増えました。




 上は中権寺地域です。今の第四銀行・コメリ・原信などの団地は、かつて長潟という潟がありました。



 上は内野、槇尾、新通地域です。オレンジ色の線が北陸道・北国街道で、このルートは江戸中期から徐々に使われ、明治時代に入ると、公の地図には「北陸道」と明記されています。



 上は坂井、新通、亀貝地域です。


 


 上は小針、寺地、山田、立仏地域です。この地域には、小さな潟が点在し、白鳥潟、二枚目潟、三枚目潟、ガイルマ潟、的場潟、徳人潟などがありました。
 信濃川は昔、立仏、寺地地域を通っていました。現在の、「ふるさと村」や新潟日報社がある地域は、合子作という信濃川の中にある島でした。


 ここに取り上げた航空写真は、戦後まもなく撮影されたもので、その多くがGHPによるものです。
 今では、大堀幹線付近、西区役所付近、青山のジャスコなどは水田であったことが、これらの航空写真から見ることができます。

2009年6月16日火曜日

佐潟の生物

佐潟は、新潟市西区にあり、国内で10番目にラムサール条約に登録されました。

 かつて、昭和40年代までは、佐潟の周りで稲作が行われていましたが、今ではかつての水田にヨシ(アシ)が生えてしまい、当時の面影を見ることが出来ません。

 春夏秋冬、四季に応じて様々な表情を変えて、私たちを楽しませてくれます。


 このブログと兄弟関係にあるブログから、佐潟のカエルの画像をアップさせていただきます。
そのブログは、「SR始皇帝」というタイトルで検索して頂ければ、そのブログを見ることが出来ます。

画像には、そのブログの名前が入っています。




↑は、カエルが恋人のことを考えているのか、はたまた、餌のことを考えているのか、というカエルの妄想の図です。


↑は、故郷を想うカエルでしょうか。




↑は、ポーズをとっているのでしょうか。可愛いですね。

「SR始皇帝」には、様々な情報を知ることができます。是非、見てください。