2010年5月25日火曜日

4月27日 村上市のお城山

村上市にある村上城跡に行きました。ここは、市民から「お城山」の名前で親しまれ、桜もきれいな場所です。
山麓には、城主や政務の屋敷や、中世に造られた曲輪(くるわ)が広がり、併せると大きな規模のお城でした。
村上城は、江戸初期に堀直寄によって築かれた「平山城(ひらやまじろ)」の形式であるお城です。

臥牛山(標高135m)は、その全容が牛が伏している姿に見えることからこの名前になっています。
山頂の城郭まで行くには、この「七曲道」と呼ばれる道を歩かなければなりません。
改めて、自分の運動不足を痛感しました。
斜面には、ブナが生い茂っています。

山頂の城郭への最初の入口「四ツ門」です。
この門は、入口が四方に入口がある、とても珍しい門です。また、三の丸(写真の奥側)と二の丸をつなぐ門でもあり、軍事上重要な門でもあります。


村上城の東側には、斜面に無数の曲輪があります。これは、中世、本庄氏の居城であったころのもので、江戸時代も使用されていました。
東門は、これらの曲輪と、山頂の城郭の中間に位置する区切り的な門です。
今では、残念なことに、石垣がボロボロになっています。もう少し、整備されると良いですね。


さて、実は私、お城マニア暦13年です。今あるお城を見るのもさりながら、建物が残っていない城を中心に見ています。
かつての姿を妄想するのは、とても面白いです。軍事的、兵法、時代背景、その時代の技術などの視点で見ると、石垣だけしかないお城も、自分のイメージとして何だか建物があるようにも見えてくるのです。
 
写真の「御鐘門」は、外部から右曲がりで進入します。(矢印の通り)
これは、孫氏の兵法に、「利き手」に関係します。多くの人は「右利き」です。右利きは、左側への攻撃は容易ですが、右側への攻撃は難しいのです。 試しに、何か棒を槍代わりにして振ってみると分かります。
つまり、敵は右への攻撃にもろく、城内の兵は敵の右側を攻撃するという戦法になります。


本丸の石垣は、「扇の勾配」と呼ばれるもので、上へ行くにつれて角度が急になります。
当時の技術の凄さに驚きます。

今も、本庄氏の時代の曲輪を見ることができます。
中世・戦国時代、安土桃山時代、江戸時代の城郭の姿を見ることができます。

石垣をよく見ると、何やら穴があります。これは礎石です。
柱を立てる際に、礎石と柱をつなぐための穴です。
 
その穴に柱をイメージすると、写真のようになります。写真の左手は小さな入口(くぐり戸)があったということが分かるかと思います。

この2つの穴は、門の上にある櫓を支える柱です。

この穴から、おおよその門の柱スパン(間隔)がわかります。1間くらいですね。

本丸からは、村上市街地を一望できます。

村上市の三面川(みおもてがわ)は、江戸時代に、鮭の養殖で藩を支えた恵みの川です。
今は、近くに「サーモンパーク」や、「イヨボヤ会館」があります。
村上では、鮭を「イヨボヤ」と呼んでいます。鮭を切るときも、腹を完全には開きません。へその辺りを残してきります。これは、武士の「切腹」を嫌う風習が今もあり、軒先に乾燥のために乾された鮭を見ると、お腹の一部が繋がっているのを見ることができます。
 
村上市では、商店街が観光の一環として、各町家にある雛人形や屏風を展示し、町家を巡り歩きができる催しが行われて、毎年、多くの観光客が訪れています。

この日は、うっすらと粟島をみることができました。
また、南東側には、飯豊の山々や、会津の磐梯山を見ることもできました。

村上市街地を一望でき、もしかしたら夜景も良いかもしれませんね。
でも、夜道はちょっと怖そうです・・・。

桜も満開。桜の花ってこんな感じだったのですね。

一生懸命に花を咲かせている桜をみると、植物の生命力に感心します。

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