2009年10月14日水曜日

10月12日 中原邸の一般公開と赤塚巡り

この日、赤塚の富農「中原邸」の一般公開が行われました。
普段は、「赤塚・中原邸保存会」の皆様が清掃活動をする時、会員の方だけ入ることができますが、一般の方には公開されていません。
年に2回、4月と10月に、1日限定で一般公開をしています。
この日、佐潟では「ハス・ヒシとり大会」が行われ、親子合わせて約40名が参加。
中原邸は10時~16時まで公開が行われました。
私は、午前中佐潟でヒシをモギモギしていました。


「中原邸」は、明治11年9月16日、明治天皇が北陸巡幸でご昼食を取られた所で、行在所(あんざいしょ)となっています。
行在所として、ほぼ当時のままの姿をとどめ、かつ現在も民家として使用されているものとしては、全国的に数少ない屋敷だと思います。
この日、特別展示された木杯は、巡行後に、天皇家から賜ったものです。

中原邸(中原藤蔵)は、明治時代、田畑合わせて290町歩の土地を所有していました。
私は、午後から、案内人として大茶の間で解説していました。
来訪者からは、「石高(こくだか)は幾つですか?」という質問がありました。290町歩なので、単純計算すれば2900石(1町歩:10石、1反:1石)となります。
しかし、関川の渡邉邸・沢海の伊藤邸などは1000町歩を越える「豪農」で、その中から見れば、中原邸は中規模の「富農」となります。

明治天皇がご昼食を取られた上段の間は、一段高く設けられています。
上段の間・二の間(富士の間)・三の間(鶴の間)の鴨居には行田魁庵(なめたかいあん)の作品。天袋の絵は松川藤陰(まつかわとういん)の作品があります。

中原邸には駐車場が無いため、佐潟公園駐車場から歩いて行くというものでした。でも、赤塚の歴史マップを1部100円で貰え、それを手にそれぞれポイントをまわって見ました。
各ポイントの説明と、現地には高札が立てられています(短期間のみ設置)。
大慈寺の鐘楼にある梵鐘は、戦時中、謎の大爆発を起こして広島湾で沈没した戦艦「陸奥」の主砲の台座を一部引き上げた際、その鉄(陸奥鉄)を溶かして造られました。
坂の途中にある石黒家墓地は、石黒家屋敷内にあったものを後に移したものです。

赤塚には「城山」という地名があります。
歴史から見ると、赤塚に城があったことを見ることが出来ます。

城山は、ハーブランドシーズンからウェルサンピア新潟への間にある畑です。
佐潟脇の斜面には、空堀の跡を見つけることができました。

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