2014年9月15日月曜日

赤塚で軍事演習が行われていました!

軍事演習・・・、それは自衛隊のではありません。
昭和4年11月3日の新聞記事には、こんな見出しが。
 
秋晴れの西蒲の野に 
 猛烈悲壮の攻防戦
  鉄砲火林間に木だまし
   最後の突撃の刹那休戦命令
    師団仮設的大演習
 
 とあります。新聞記事冒頭からは、「第二師団秋季演習の最後を飾る師団仮設的演習は二日払暁より赤塚を中心に東西一里餘の戦線に及んで壮烈に演ぜられたが賀陽宮殿下が親しく御観戦遊ばされた事とて将卒の意気は一段と上つた此日南軍両軍は午前四時より行動を開始し午前八時近く南軍先づ砲火を開いて攻撃を開始するや北軍も是に応戦しつつ戦ひは刻々に猛烈となり赤塚部落を中心に付近の山里は悉く凄壮の修羅場と化した」とあります。
 
 南軍は、高崎方面より、長岡から赤塚以南のところに移動。主力は赤井師団長。井上少将が指揮する聯隊は、曽根・内野線から敵(北軍)の左翼を攻撃しようと行進しました。
 一方、北軍は、土肥大佐を中心に、中権寺を中心に東西に陣地を敷いて、南軍の攻撃に備えました。
 
以下は、その当時の写真です。















上)『昭和四年 秋季演習写真帖 歩兵第三十聯隊』より
 
上)秋季演習御観戦ノ賀陽宮殿下
 
上)演習御視察ノ鈴木参謀総長閣下
(鈴木荘六)

上)観兵式予行
 
上)仮設歩兵小隊ノ防御

上)曲射歩兵砲ノ射撃
 おそらく、「十一年式曲射歩兵砲」と思われます。
迫撃砲の一種です。
 
上)軽機関銃ノ活動
 おそらく、この銃は、「十一式軽機関銃」と思われます。この銃は、ホッパー(弾倉)に30発(三八式実包)を装填でき、日本軍が初めて制式採用した軽機関銃です。命中精度の高い銃と言われています。
 
上)三八式重機関銃
6.5mm、30発。弾丸が30発繋がった状態のものを銃の左側から差込み、発泡すると空薬莢が右側から出てきます。

上)重機関銃ノ活動
銃自体は、上のものと同じです。川があり、その向こうに鉄道(今のJR越後線)が見えますので、この川は、おそらく中権寺付近の広通川と思われます。
 
上)戦ヘ正ニ起ラントス
 この銃は、おそらく有坂三八式(通称・三八式歩兵銃)と思われます。
銃刀を付けると、当時の兵士の平均身長より長くなり、扱いにくい銃でした。
 
上)北軍ノ苦戦
向こうに見えるこんもりとした森が、現在のどこになるのか、ちょっと不明です。 
(赤塚の諏訪神社の可能性があります)
 
上)講評
小学校でしょうか。
 










上)新潟関屋競馬場ニ於ケル観兵式
 















上)万代橋
萬代橋。現在の物です。
 
















上)長生橋
長岡の長生橋を行進している様子です。

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