2011年9月13日火曜日

9月12日 弥彦神社

 「越後一ノ宮」の呼ばれるように、新潟県内を代表する観光地のひとつとなっている弥彦神社。祭られている神様は女性です。
たまたま、この日は鳥居の塗装塗り作業中だったようで、朱色の鳥居をくぐることはできませんでした。


 現在の弥彦神社の社殿(本殿)は、大正5年に現在の位置に建てられたものです。明治45年3月の弥彦大化で本殿は類焼してしまいました。(上の写真、大正2年→大正5年に訂正です。ごめんなさい。)


消失前の社殿は、朱色の鳥居をくぐり、その先の石畳の参道を進んだ延長線上にありました。


旧社殿(本殿)があった所は、現在、「旧本殿跡」という形になっていて、その先には宝物殿があります。


旧本殿跡には、案内看板がありました。
 明治天皇北陸東海御巡幸のことが記載された『明治天皇聖蹟誌』(新潟県立図書館所蔵)の本の中に、消失前の旧本殿の写真があります。旧本殿の前に、建物がありました。


旧社殿(旧本殿)跡は、当時の本殿の位置や大きさを伺うことができました。


旧本殿脇には、弥彦神社の御神木があります。


この日、気温が高く、暑いせいか、弥彦神社の鹿さんたちは水にどっぷりと浸かっていました。


   弥彦神社近くには、戦国時代まで使われていた桔梗城(ききょうじょう)という城があった「城山公園」もあります。

2011年9月5日月曜日

9月4日 赤塚消防団の大会

西日本を中心に暴風雨の被害がある一方、新潟はフェーン現象で気温が上がりました。
赤塚消防団の大会当日も、気温が高く、風も強かったです。
  日ごろから訓練を重ね、消防団活動に熱心な赤塚分団。赤塚から、木山、中権寺、四ツ郷屋地区などから、約200名の消防団員が大会に参加されました。

 国旗掲揚とラッパ隊による「君が代」の演奏も、素晴らしかったです。

 新潟市はもとより、新潟県内で、優勝経験豊富な赤塚分団。赤塚分団の旗には「常勝」の文字が。「優勝」や「必勝」ではなく、常に勝つという意味の「常勝」の文字は、赤塚分団の強さを示しているようにも見えました。
 県大会では、赤塚分団の演習が始まると、県内各地の消防団員がビデオを撮るなど、他の地域の消防団員からも注目を集めるほどの強さ。赤塚の演習を見る目的で来る人が多いそうです。

 「操法(そうほう)」とは、訓練の基本的な器具の操作や動作が国の基準で決められ、火災消火を想定した基本操作の訓練だそうです。最初に、操法が行われ、その後に「放水」が行われました。放水では、一斉にエンジンをかけ、エンジンの音が響き渡る中、放水する速さを競いました。放水シーンは、迫力ありました。

2011年8月28日日曜日

8月28日 ヒシにオニバスに瓢箪?

朝夕の涼風は、心地よく、秋を感じさせます。
でも、日ざしはまだまだ夏が残っています。
 佐潟の湖面に広がるヒシの上には、サギが小魚を狙っているのか、一息休憩しているのか、あちこちに見ることができました。

 ヒシも昨年は10月上旬頃から実が獲れ始めていました。ただ、佐潟のヒシは実の殻が固いので、食べるには一苦労します。

今年のオニバスは、佐潟の下流付近に多く見受けられます。
花は葉っぱの割りに小さく、午前中しか咲かないのだそうです。

余談ですが、今年、わが家ではグリーンカーテンに、地元の農家さんから貰った瓢箪の苗を植えました。
 水やりや、施肥をして、実りの秋を向かえ、中型の瓢箪が1つ(高さ約50cm)、千成瓢箪(せんなりひょうたん)が数個実りました。千成瓢箪はまだこれからたくさん実りそうで、赤ちゃん瓢箪が10個くらい付いていました。

    瓢箪の栽培は始めてなので、加工方法について、知人の瓢箪づくりのプロに聴きながら挑戦したいと
思います。

2011年7月31日日曜日

雨上がりの夏空

昨日、一昨日の大雨とは打って変わって、今日は夏空が広がりました。
気温もすっかり夏の暑さで、佐潟の湖面のヒシも益々元気になってくるかと思います。
昨日・一昨日の大雨で、佐潟の潟舟にもたくさんの雨水が溜まりました。

昨日、写真の真ん中の舟を水をかき出して漕いでみました。今年もたくさんのオニバスがありそうです。

暑さ倍増と共に、セミさんの鳴き声も倍増?

ミンミンと元気よく鳴いています。

2011年6月21日火曜日

6月20日 蓮野・二宮家見学

 今年は、6月26日まで一般公開されているとのことで、一人、蓮野地区にある二宮邸へ見学に行きました。二宮家は聖籠町の歴史にも大きく関わっており、県内有数の「豪農の館」にも数えられています。
  新新バイパス蓮野インターを降り、免許センターの反対方向へ曲がると、蓮野という集落に行きます。その通り沿いにお屋敷がありました。


 さすが、県内有数の「豪農の館」と称されるだけに、立派な海鼠壁(なまこかべ)の土蔵が4棟並んでいました。


 二宮邸の名物が、バラ園だそうです。行ったときはバラも終わりかけで、お花が少ないようでしたが、それでも沢山のバラが咲いていました。


 バラが洗面器に入れられていたのを見て、一度で良いのでお風呂に沢山入れてみたいと思いました。


 二宮家の主屋を含めた建物は、入室できませんでしたが、歴史を感じました。


 建物は、登録有形文化財に登録されています。数年前に、長野県の温泉地で同じ登録有形文化財に登録された旅館に泊まったことあります。歴史的に価値のある建物に対して登録される文化財です。


 主屋の中(玄関)から見ると、奥にある庭園と建物がまるで額縁のように見えました。京都のお寺も同じような風景がありますが、おそらく、部屋の中から見て庭の樹木や燈篭(とうろう)、飛び石などの配置が決められているのかも知れません。



 主屋の縁側に腰掛けてお話をされていた方々もおられました。縁側の機能とは、サザエさんにもあるように、コミュニティの場であり、かつ、外の環境と建物内の環境を繋ぐ中間領域にあたります。日本の文化は素晴らしいですね。


 二宮家の屋敷裏にある弁天潟。100m×200mくらいの潟でした。


 潟も庭園の一部となり、借景(しゃっけい)と呼ばれる庭園様式にも見えました。私これでも、造園関係の資格もあるので、日本庭園も多少勉強していました。


 潟に接して茶室?あるいは書斎のような小さな建物がありました。


 ふと見ると、大きなライギョとカメさんが泳いでいました。カメさんに向かって「おいで、おいで」と指をフリフリしたら、寄ってきました。少し、カメさんと戯(たわむ)れていました。

2011年6月5日日曜日

6月4日 魚沼地域

6月4日、中原邸保存会の研修旅行に参加しました。
魚沼地域の歴史を巡りました。
西福寺開山堂の彫り物は、石川雲蝶の作品で、細かい細工が素晴らしかったです。

写真は、開山堂の正面にあるカラス天狗です。


 石川雲蝶は、絵も得意で、彫り物・絵・コテを得意としていたようで、「越後のミケランジェロ」といわれるほど迫力ありました。雲蝶は幕末から明治初期の人で、江戸の生まれで32歳の時に永林寺に、一生良い酒と鑿(のみ)を提供するという条件で永林寺に入りました。後に、三条へ婿へ行き、酒井姓を名乗っています。


お昼ごはんには、入広瀬の「休み場」という民宿で山の幸をふんだんに堪能できました。


 アユの塩焼きも出ました。私の大好物の1つです。魚沼地域は、アユやマスなどの川魚もあり、山と川の食材の宝庫ですね。


 国指定重要文化財の目黒邸。明治時代は目黒邸の正面は田園が広がっていたことを、当時の写真で伺うことができました。
 萱葺き屋根の規模の大きさは、国内でも5本の指に入るそうで、葺き替え費用は1億円かかったそうです。また、山間部地域の萱葺きの葺き替え作業は、地元村人が総出で参加し手伝う「結」というものが存在します。「結」は、地域のコミュニティにとって大切なものです。これからも「結」が続いて欲しいですね。

2011年5月30日月曜日

加茂山公園のリス園

友達と加茂市にある加茂山公園に行ってきました。
テレビで、リス園が映っていたので、行ってきました。
リス園は無料でした。

中に入ると、足元までチョコチョコとリスちゃんがやってきました。


毛の色が薄いのは、冬眠したリスで、冬毛がまだ残っているからだそうです。
きれいな縞模様のリスは冬眠していないそうです。


どこにリスちゃんがいるか、わかりますか?
2匹います。
スズメがヒマワリの種を奪おうと、やってきて、リスはスズメと格闘している様子が可愛かったです。