「赤塚・中原邸保存会」の研修会に参加しました。
朝、早くに集合のため、ちょっと寝ぼけていました。
1598年、上杉家は越後国から会津へ国替えし、後に米沢へ移りました。
道の駅いいでに、休憩中、駐車場に昔の車がありました(オート3輪、ダイハツ)。
「日本昭和の車保存会」と車のドアに書かれていました。
上杉家御廟所に行きました。現地でボランティア解説をしている人から山形弁の訛りある言葉で説明を受けました。なかなか面白い人でした。
観光客は御廟所をじっくり見てましたが、私はその手前にある燈籠をじっくり見てました。
ふと見ると、何やら名前が書かれています。
ほとんどが越後国出身の、上杉家古来の家臣の子孫で、色部(平林城)・毛利(刈羽郡・安田城)・本間(佐渡国)・本庄(岩船郡・本庄城)などなど。
越後の人の名前を見れました。
お昼は米沢城の近く、城史苑で食べました。
駐車場は、「天地人」ブームで、大賑わい。
伊達政宗は米沢城出身。
お城は、石垣がないのは、幕府に配慮したもので、天守閣もなく御三重櫓と称していました。
米沢城のまわりには色々見るところが密集しています。
お堀のコイがたくさん。おいしそうですね~。
錦鯉も食べれます。新潟の山古志地域では、真鯉もいますが、錦鯉の方が多く、冬場の蛋白源として錦鯉を食べます。皮を剥いでしまえば錦鯉だと分かりません。味は真鯉とほぼ変わらないそうです。
林泉寺は、上杉家が会津へ国替え後、越後から会津へ移りました。その後、米沢へ移り、現在に至っています。
ここには、直江兼続やお船の墓、菊姫(武田家出身・上杉景勝の正室)、仙洞院、甘粕景継の墓があります。
甘粕景継の墓です。越後国枡形城の城主で、後に白石城の城主となりました。
直江兼続の墓です。隣には、お船の墓があります。
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