赤塚の本村部分にある、大慈寺(だいじじ)。その目の前には旧北陸道(通称「北国街道」)が通っています。
大慈寺の山門2階にある梵鐘(ぼんしょう)は、戦時中、大日本帝国海軍の艦艇の1つ、戦艦「陸奥(むつ)」という船の鉄で造られています。
戦艦「陸奥」は、長門型戦艦の2号艦で、戦艦「長門(ながと)」とともに、当時、国民に長く愛されていました。当時の子どもたちが、図画の授業で書いた絵で最も人気があったのが、この2艦です。
戦艦「陸奥」については、私のもう1つのブログ、『利兵衛(SR始皇帝第2弾)』に掲載しておりますので、そちらを参考にしていただければと思います。
陸奥は、昭和18年(1943年)6月8日、広島湾の柱島に停泊中、謎の大爆発を起こし、沈没しました。その後、昭和23年、昭和45年(1970年)の2度に渡って、引き揚げ作業が行われました。その引き揚げられた陸奥の鉄を溶かして、大慈寺の鐘が造られました。
引き揚げられた陸奥の鉄は、「陸奥鉄」とも呼ばれています。戦前の製造された鉄は、放射性物質が含まれていません。そのため、人の体からごくわずかに発せられる放射線を計測するための放射線測定機に利用されたそうです。
現在、国内にある「陸奥鉄」で造られた鐘は、大小さまざまありますが、数箇所あります。大慈寺のような大きさの鐘は、群馬県渋川市の福増寺、黒瀧山不動寺。周南市の回天記念館があります。
大慈寺では、この鐘をついて、戦没者の供養も行っています。毎年行われる除夜の鐘でも、この鐘をついています。
国内に残る「陸奥鉄」の中でも、これだけの大きさの鐘は、大慈寺を含めて4箇所しかありません。とても貴重な鐘ですね。