お知らせですが、11月6日(日)、メイワサンピアを会場に、赤塚地域の北陸道(北国街道)バスツアーと講演会が行なわれます。13時~15時30分 バスツアー。15時半~17時 講演会。17時~懇親会となっています。
講演会では、「北陸道(北国街道)と赤塚 ~新潟湊―弥彦区間の赤塚~」と、「赤塚の歴史について」というテーマとなっています。
↑江戸中期までの北陸道(浜通り)は、赤塚の神明社近くを通り、四ツ郷屋へと続いていました。
↑下野地の墓地入口には、馬頭観音と、八手観音があります。
↑ 「ドンチ池」の名前と、カッパ伝説で有名な論地池(尼池)。砂丘湖の1つで、平安時代、中宮寺という寺院がこのほとりにありました。
↑ 江戸中期からの北陸道(中通り)、円通庵の前に、出羽三山の碑と庚申塔があります。
↑ 赤塚連絡所前から江戸中期の北陸道(中通り)が続いています。
↑ 平安・鎌倉時代頃までの北陸道は、砂丘の縁を通っていました。山崎のお宮の脇にある道は、その時代の北陸道です。
↑ 山崎の墓地には、湯殿山大権現と刻まれた石碑があります。
↑ 江戸初期まで赤塚の中心的な集落は、大藪というところにありました。大藪には、村上義清の墓とも供養塔とも伝わる「義清塚」がありました。
↑ 江戸時代、赤塚を中心に、最大17ヶ村の村々を治めていた石黒家屋敷跡。赤塚小学校の入口脇にあります。ここだけ、石垣が築かれ、石黒家の権威を伺えます。
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