中原邸は、明治11年9月16日に、明治天皇が北陸東海御巡幸の際、ご昼食をとられた、行在所です。当時の状態で母屋が現存する行在所では、近隣では中原邸しかありません。
中原家は、内野、新保、鱸、中島、赤塚の土地を所有する大地主で、江戸後期には乳の潟(ちのがた)の新田開発を行い、中原藤蔵の名前を取って「藤蔵新田」と呼ばれ、現在に至っています。
旧北陸道(旧北国街道)に面する表門。昭和になって屋根が掛けられ、それまでは屋根の無い、「冠木門」と呼ばれる建築様式となっていました。
『明治十一年 明治天皇新潟縣御巡幸 六十年記念誌』(新潟県立図書館所蔵)には、当時北陸東海御巡幸に関する詳細な内容が記載されています。その中に、行在所の御門と御玄関には、各1張、地が紫の菊の御紋入りの幕を張るようにと、指定されていました。
中原邸にあった人力俥を。地元の人力俥職人のご尽力により復活し、それを展示していました。
表門を入ってすぐ右側には、明治天皇赤塚行在所の石碑があります。
かつて、戦前までは、表門の左側にありましたが、戦後になると進駐軍が来るとのことで、邸内に埋められ、後に掘り起こされ、現在の場所に置かれました。
かつて、戦前までは、表門の左側にありましたが、戦後になると進駐軍が来るとのことで、邸内に埋められ、後に掘り起こされ、現在の場所に置かれました。
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