2011年4月19日火曜日

4月17日 赤塚・中原邸の一般公開

4月17日、「赤塚・中原邸保存会」主催のもと、春の中原邸一般公開が行われました。
 中原邸は、明治11年9月16日に、明治天皇が北陸東海御巡幸の際、ご昼食をとられた、行在所です。当時の状態で母屋が現存する行在所では、近隣では中原邸しかありません。
 中原家は、内野、新保、鱸、中島、赤塚の土地を所有する大地主で、江戸後期には乳の潟(ちのがた)の新田開発を行い、中原藤蔵の名前を取って「藤蔵新田」と呼ばれ、現在に至っています。
 旧北陸道(旧北国街道)に面する表門。昭和になって屋根が掛けられ、それまでは屋根の無い、「冠木門」と呼ばれる建築様式となっていました。
 『明治十一年 明治天皇新潟縣御巡幸 六十年記念誌』(新潟県立図書館所蔵)には、当時北陸東海御巡幸に関する詳細な内容が記載されています。その中に、行在所の御門と御玄関には、各1張、地が紫の菊の御紋入りの幕を張るようにと、指定されていました。

 中原邸にあった人力俥を。地元の人力俥職人のご尽力により復活し、それを展示していました。


表門を入ってすぐ右側には、明治天皇赤塚行在所の石碑があります。
 かつて、戦前までは、表門の左側にありましたが、戦後になると進駐軍が来るとのことで、邸内に埋められ、後に掘り起こされ、現在の場所に置かれました。

戦前までは、旧北陸道に面する場所に、石碑と建札が置かれていました。

 今回、明治天皇北陸東海御巡幸に関する資料展示がありました。とても好評で、見る人からは「明治天皇が来たことは分かっても、それ以外に有名な人が来ていたことは分からなかった。」とか、「もっとこれを多くの人に知って欲しい。」、「実際こんな様子で来ていたのは驚き。」というような、ご感想がありました。
 地元赤塚の人も、どの家に誰が休憩したのかを記した地図を見て、関心されていた人もおられました。
 今回の公開の一番のメインがこの資料展示だと言えます。


 地元の大学である新潟国際情報大学の茶道部の方々による、抹茶の提供もされました。赤い敷物と傘が風情を出していました。
 資料を眺めた後に、竹炭や佐潟のストラップ、お茶やコーヒーなどをお求めになる方々が大勢おられました。

 今回の公開で来邸された方々は約300名。次回は、資料展示の内容も充実しているものと思われます。次回の秋の一般公開をお楽しみに。

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