赤塚は、江戸時代、新潟から弥彦の中間地点の主要都市として栄えた「在郷町」です。
「在郷町」は、宿場機能を持ち、一見すると農村にも見える集落で、商工業が発展し、労働者も居住していました。
戦国時代の城下町が、江戸時代に農村集落へと変貌したものが、「在郷町」として形成される例が多く、赤塚も同様の形態だと思われます。
赤塚の集落中央には、背骨のように北国街道・北陸道が通っていました。
その街道を軸に、小路が存在していました。
その中で「権現小路」は、現在も呼ばれていますが、他にもあるのでは?と思い、調べてみましたら、明治時代の資料から、上の図のような小路名がわかりました。
令和5年7月18日
1 年前
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