靖国神社は、江戸城の田安門のすぐ北にあり、日本武道館とも近い距離にあります。


起源は、明治2年(1869)6月29日に建てられた「東京招魂社」にさかのぼります。当時、幕末の騒乱や戊辰戦争といった近代国家建設のために尽力した多くの方々の尊い命が失われてしまいました。
そこで、明治天皇は、国家のために一命を捧げた方々の御霊(みたま)を英霊(えいれい)として慰め、この事績を後世に伝えようと、この建物が建てられました。
明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されました。
明治天皇がお詠みになられた「我が国の 為をつくせる 人々の 名もむさし野に とむる玉かき」のお言葉からも、靖国神社の本当の重要性を知ることができます。
しかし、残念ながら、この本当の意味や重要性を知っている国民、外国人は少ないというのが現状です。
しかし、残念ながら、この本当の意味や重要性を知っている国民、外国人は少ないというのが現状です。

オデコが広い方で有名ですね。

手前の大手水舎(おおちょうずしゃ)で、手と口を清めます。
手水(ちょうず)で清める作法は、両手を清め、口を清め、最後に柄杓(ひしゃく)の柄(え)を清めます。茶道と同じ作法ですね。


普段の参拝は、「拝殿」のみですが、玉串料を納めれば「本殿」の参拝・お払いができ、お神酒をいただくことができます。私も、本殿にて参拝・お払いし、お神酒をいただきました。
私のほかに、4名の方が一緒に参拝しましたが、その中で3名1組で香川から来られた人がいました。参拝を終え、「こうして会えたのも何かのご縁、一期一会」と、お話をお伺いしたところ、お婆さまの旦那さまが特攻隊だったとか。
靖国神社には、幕末の人も祀られ、坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作、橋本左内も祀られています。
また、従軍看護婦や女学生、学徒動員で軍需工場で亡くなられた学徒、文官、民間の方々も含まれています。
シベリヤ抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々も同様に祀られています。一律平等に祀られているのです。
もちろん、新潟の長岡出身の山本五十六さんも祀られています。
一律平等に祀られているのは、靖国神社の目的である「国家のために一命を捧げられたこれらの人々の霊を慰め、この事績を後世に伝える」ことにあるからです。
日本のために命を捧げられた方々がいたからこそ、今の日本があり、私たちがいるのだと思うと、こうした方々への尊敬と、感謝の念を抱きました。本殿では、英霊に対し感謝の黙祷をしました。
かつて、戦時中に「靖国神社でまた会おう」と、戦友と交わしたように、遺族も靖国神社に行けば会えるという意味もあり、先祖の事績を知ることができる場所でもあります。
館内に展示されているものには、戦艦「三笠」や戦艦「武蔵」・「大和」の主砲の玉、軍服、銃、大砲、戦闘機、回天などといったものがあります。 戦艦「武蔵」・「大和」の玉はやっぱり大きいですね(世界一です)。
遊就館のメインフロアには、零式艦上戦闘機五二形 三菱製があります。通称、零戦と呼ばれているものです。
また、従軍看護婦や女学生、学徒動員で軍需工場で亡くなられた学徒、文官、民間の方々も含まれています。
シベリヤ抑留中に死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された方々も同様に祀られています。一律平等に祀られているのです。
もちろん、新潟の長岡出身の山本五十六さんも祀られています。
一律平等に祀られているのは、靖国神社の目的である「国家のために一命を捧げられたこれらの人々の霊を慰め、この事績を後世に伝える」ことにあるからです。
日本のために命を捧げられた方々がいたからこそ、今の日本があり、私たちがいるのだと思うと、こうした方々への尊敬と、感謝の念を抱きました。本殿では、英霊に対し感謝の黙祷をしました。
明治・大正・昭和天皇様が着用になられた軍服の実物も展示され、特攻や戦争で亡くなられ靖国神社に英霊として合祀されている方々の写真や遺品・遺書をみることもできます。
かつて、戦時中に「靖国神社でまた会おう」と、戦友と交わしたように、遺族も靖国神社に行けば会えるという意味もあり、先祖の事績を知ることができる場所でもあります。

遊就館のメインフロアには、零式艦上戦闘機五二形 三菱製があります。通称、零戦と呼ばれているものです。
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