2015年4月27日月曜日

佐潟と歩む赤塚の会 ブログ

佐潟をフィールドとした「佐潟と歩む赤塚の会」のブログを試験的にアップしてみました。
本ブログのリンクしております。
http://sakata10ayumu.blogspot.jp/
(佐潟と歩む赤塚の会)

今日、中原邸に生えている孟宗竹ジュニア・タケノコさんをGETしました。
今年初物です。
何して食べようか、考え中です。
 

タケノコは、毎日朝収穫されたものを、赤塚の「ファミリーパーク カワチヤ」で販売されています。地元産の、掘りたてホヤホヤのタケノコたちです。

2015年4月10日金曜日

菜の花と桜

上堰潟公園にちょっとだけお散歩に行ってきました。
昨年と同じくらい、菜の花が満開。
小鳥のさえずりを聞きながら、穏やかな天気の中、てくてくと歩きました。
菜の花の黄色が、見栄えします。
なんか、ミツバチになりたい気分。
もう少し暖かかったら、ござを敷いてお花見したかったのですが。
佐潟の桜も満開。19日には散り始めているかも。

2015年4月4日土曜日

4月18日(土)・19日(日) 中原邸公開と潟舟運行

4月18日(土)・19日(日)、「中原邸」春の一般公開が行われます。公開時間は、例年同様に9時30分~16時。
「中原邸」は、普段は非公開です。毎年、春秋に「赤塚・中原邸保存会」主催で一般公開が実施されています。中原邸主屋は、嘉永5(1852)年の大火で焼失した後に再建したものです。赤塚は、幾度となく大火にあっており、安政4(1857)年夏の大火では村の大半を焼失し、元治元年に修復費380両を菜種代金で返済する条件で借り受けたという文献もあります。
『鳥役定之事』(太田氏所蔵)という史料には、嘉永度の火災により赤塚の割元石黒家も類焼し、そこから慌てて取り出されたと、ふせんに説明書きがあります。
 

慶応元(1865)年閏5月6日の史料には、出雲崎代官の大竹左馬太郎が、管轄下の山口三郎・中原藤蔵・玉木金十郎に献金を命じています。これは、幕末の長州討伐のためのものです。
中原家(代々「藤蔵」を名乗る)は、この他にも江戸城本丸普請や海上防備など幕府への献金も行い、近くにあった乳の潟の新田開発に従事(現・藤蔵新田)したことなど、さまざまな功績を認められ、名字帯刀を3代免除されています。
中原久成・龍三郎は、赤塚村の村長を務めました。
 

中原邸の価値は、明治天皇が北陸巡幸で明治11年9月16日に昼食を取られた部屋「上段の間」が現存していることと、江戸後期の新潟の画家・行田魁庵の作である襖絵や欄間などがある、江戸後期から明治期にかけての建物の状態がそのままであるということです。
 

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19日(日)、佐潟では潟舟乗船体験が行われます(大人500円、こども300円)。
佐潟を潟の中から周りを見渡すのも、普段では体験できません。
鳥のさえずりや春風を感じながら、春の佐潟を体験してみてはいかがでしょうか。
 
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※中原邸には専用駐車場がございません。佐潟公園またはメイワサンピアの駐車場をご利用ください。
※佐潟公園-中原邸区間は、「赤塚・佐潟歴史ガイド」の方々が無料で赤塚の史跡のご案内が行われています。そちらもぜひ。

最近ちょっと作品を作りました

何の作品かというと、掛軸。
だいぶ、年寄り臭い趣味ですが、文人画収集も趣味の一環ですが、イラストを描くのが得意ですので掛軸にしてみました。
まずは、昔潟が沢山あった1820年以前の赤塚周辺の様子を描きました。潟の位置や規模は、さまざまな文献を調べ、比較を行って参考にし、角度を変えて描きました。
1820年に新川堀が完成し、六字潟・早潟・乳の潟などの潟が、減水によって新田開発が進み、消滅しました。なかなか、絵図を見る機会が少ないですが、この絵なら集落との位置関係も分かるかなあと思います。
次に、水墨風に佐潟を描いてみました。佐潟の水墨画は、これで2点目です。春の佐潟には水面に何も植物がないので、風が穏やかな晴天の日には水面に角田山が映る「逆さ角田」が見ることができます。佐潟のほとりに建つ赤塚中学校からは、この風景が見られます。
こんな良い眺めを教室から見れる、なんとも贅沢な気分です(私もOBです)。
 

あと、作品というものではありませんが、人生発の作品が完成。
それは、網戸。わが家の網戸が劣化し、脇に隙間ができてしまっていました。なので、温かい季節は、虫さんがわが家にコンニチワしてきます。
網戸の網を入れ替えてみようと思い、ユーチューブで替え方を見て、チャレンジ。ちょっと垂みもありますが、人生発の網戸作品がこれ。
今では、垂みもなく仕上げることができました。(すでに4枚交換しました)
これで、夏は心地よく過ごせそうです。

佐潟鯉まつり、潟船道場

だいぶ、更新が遅くなり、申し訳ございませんでした。
 
佐潟のハクチョウもすっかりいなくなり、潟の周りの桜の蕾も膨らんできました。早くも、風が当たらない建物の影のソメイヨシノは満開になっています。
 

 
 
3月8日に行われた「佐潟鯉まつり」では、魚の販売やコイ汁の販売などが行われました。
前日に、コイ汁やこんにゃくの仕込みを行いました。
大きなコイちゃんたちを使って、150食分を用意しました。
作業中、お水がないのでバタバタと大暴れ。かわいそうですが、頭をゴンゴン、ピヨピヨしている時にさばきました。
君たちの命は、決して無駄にはなりませんでした(。-人-。)合唱

潟船道場は、3月14日と21日にやりました。
船頭の若手が少なく、最年少は私くらい(今年31)。若手の船頭育成も、今後重要かと。
講習会終了後、ちょっと潟舟を出して遊覧しました。
春先、佐潟は満水になります。
水を溜めるのは、下流域の水田の補水用としてと、魚の産卵を促すためでもあります。春は、コイやフナが散乱する季節。もう、今現在(4月4日)も、産卵のため、岸部やヨシの縁に寄ってきている様子を見受けられました。産卵を、方言で「のっこみ」と呼んでいます。
 

また、今日久しぶりに潟の周りを散策しました。ただ単に散策するのではなく、おいしい食材を確保するのが目的。佐潟にはおいしい草が沢山あります。クレソンやセリ、ヨモギとか・・・。
 

そんな中、湧水が染み出る、透明度の高い水たまりに、カエルちゃんの卵を発見。
ヒキガエルの仲間でしょうか。ちょっとグロイですが、沢山巻かれていました。
佐潟の「自然生態園」には、毎年沢山のオタマちゃんが。それも、ウシガエルのオタマ。大きくな体で、触るとお腹がプニプニしてて、ちょっと気持ちいい。お顔もかわいい。
でも、インターネットの画像サイトで、そんなかわいいオタマの電子顕微鏡画像を見た瞬間、ちょっとグロっと思いました。